vol.012 いなみ野学園ボランティアサークル さくら会 延原順子さん 「人生100年時代。生産性のある老後を-私の思いです」

緊急事態宣言の前から、手作りマスクを地域の社会福祉施設へ届け、秋には以前から交流のある宮城県へもマスクを送ったグループがいらっしゃいます。兵庫県いなみ野学園ボランティアサークルさくら会のみなさんです。

私が学園へ訪れた日、会のみなさんは各自、製作したマスクを持ち寄られていました。

 

「この柄、ええね」「和服の生地なのよ」「清水さんも、ひとつどうぞ」。数百枚という枚数をわずか数日で作られたというのですから、驚きです。

 

材料不足も人とのつながりでなんのその

清水 もともと、マスクの製作はいつから始めたんですか。
延原 4月上旬に、いなみ野学園の菅生さん(地域活動支援センター参与)から「こんな時だからこそ、できることはないですかね」ってお電話をもらいまして。外出はできないし、学園生のお仲間も、自宅にいる時だったので、「なら、全国的に不足しているマスクを作ります」って即答しました。
清水 即決だったんですね。
延原 とにかく、「何をどうするか」考える前に見切り発車で、私は布集め、菅生さんは人集めに取りかかりました。電話から1週間後に、マスクを作ってくれる人たちで集合して、布を渡していきました。現役の学園生と、それから、OGさんにも加わっていただいて。「○○さんは、3日後に20枚ね」とか、なかなかすごいノルマでやってもらいましたよ(笑)。

清水 一時的にマスクの材料が不足したりっていうこともありましたけど、布集めは、どういう風にされてたんですか。
延原 4月頃って、材料を買いたくても、特に白い布、ゴムがお店になかったですよね。でも、そこを探すのが、私の力量で!人とのつながりで、お商売をされている方に「あなた、持ってない?」と聞いたり、こちらが探しているのを知って、布を寄付してくれたりするんです。私、自分のことだったら、こうしてあつかましく頼んだりできないんですけどね(笑)。
清水 そうだったんですね。今日のマスクの中には、浴衣の生地のものもありましたよ。
延原 あれ、私が持ってた浴衣で作られたものなの。1度洗って、藍の色を落としてからマスクにしてね。「増位山」とか名前が書いてあって、おもしろい柄でしょ?あんまりつまらない柄だったらダメだし、柄も多少は選ぶんです。
清水 「ゴム紐が売ってないので、靴下を使った」っていう会話も聞こえてきたんですけど、靴下で代用できるんですか?
延原 ここらへん、加古川市志方って、靴下が有名でしょ。靴下を作る過程で、大量に輪ゴムのような端切れができるらしいんです。その端切れさえ、その時は入手困難だったんですけど、「あの人なら、持ってそう」と思い当たるところへ電話したりして、何とかして手に入れるんです。
清水 そうやって、材料から集めて集めてできたマスクなんですね。
延原 私たちの年齢って、ないのは体力だけ。そこそこのお金も、知恵も、口もあるし、腕もある。だから、マスク作りにしても、「こんなん、作ってきてください」って、サンプルを見るだけで同じものを作れちゃうんです、若い人はきっとそうはいかないでしょ(笑)。
清水 ですかね(笑)。受け取られた方は、なんと言われていますか。
延原 学園と日頃から交流のある介護施設などへ配ってもらいましたが、入居者のみなさんからは、「作ってくださったみなさんに、御礼言うとってくださいね」って何度も何度も言っていただいたり、次に伺った時に、私たちが作ったマスクをして出てきてくださったりしたので、お役に立てたのかなと思います。

 

人生100年時代。生産性のある老後を-私の思いです。

延原さんが通う兵庫県いなみ野学園は、県内の60歳以上が通うシニアカレッジ。幅広い講座を通し教養を身につけ、それぞれの学びと経験を社会活動へと広げていきます。

この日、マスクを持ち寄られた「さくら会」のみなさん

清水 延原さんは今、大学院にいらっしゃるんですね。
延原 私は今、大学院の地域づくり研究科っていう学科にいるんですけど、シニアの方って、知識とか技能とかすでにお持ちなんですよね。それを地域活動へ生かす実践方法を探っていくのが大学院です。
清水 やっぱり、みなさんそれぞれ、経験豊富ですもんね。
延原 私の思いなんですけど、“生産性のある老後を送りたい”と思っていましてね。ただ趣味を楽しんだり旅行に行ったり、消費するだけの老後ではなくて、力は小さくても生産性のある老後を送りたいって。老人だからって、ただ、おんぶされるだけではなくって、私は自分でできる範囲で世の中のためになることをし続けていきたいんです。
清水 なるほど。
延原 「重たい物を持ちなさい」と言われても、できない。でも、お裁縫はできる。「お洋服作ってください」「バッグ作ってください」と言われても無理ですけど、マスクは作れる。微々たることですけど、できる範囲で社会の役に立てればと思って。それとね、みなさん、声をかけてもらうのを待ってるところも少しあると思うんです。
清水 え、そうなんですか。
延原 今回も、声をかけて「何してんの?」と聞くと、「家にこもって本ばっかり読んでる」って言うんです。「本ばかり読んで、ひとりだけ賢くなり過ぎたらダメよ。マスクでも作って、体を動かさない?」って誘ってね。そしたら、「時間をつぶせて、楽しかったわ」っていう人もいましたね。
清水 「人の役に立っている」っていう感覚があるんですかね。
延原 やっぱり、人の役に立っているっていうのは快感でしょ(笑)。

 

白血病と闘った息子。
骨髄バンクへの寄付に始まり、地域への恩返しを。

延原 私ね、骨髄バンクの活動を長年していましてね。もう25年くらいになるのかな。人の集まるイベントとかで、骨髄バンクの活動を知ってもらうチラシを配ったり、少しですが寄付をしたり、そんな活動を続けています。
清水 そうなんですね。活動は、何か、始めるきっかけがあったんですか。
延原 実は、長男を白血病で亡くしてるんです。息子の闘病中に、私いち個人で、いろいろな手作り品をバザーで売って、売り上げを骨髄バンクに寄付して-。それが始まりでした。主人も「このバザーで儲けてはいけないよ」って言う人だったので、お金があるわけではないのに、材料費も何もかもひっくるめて売り上げを寄付していたら、自然と「仲間に入れてほしい」っていう人が集まってきてね。
清水 そういった背景があったんですね。
延原 バザーとかだと、値切ったりも普通、するでしょ。でも、「私たちのバザーは、売り上げは骨髄バンクに寄付しますから、値切らないでくださいね」って、しばらくの間言い続けたら、ある日、お客さんから「こちらのバザーは寄付をされるから、値切ってはいけないんだったよね」っ言ってもらったんです。「浸透してたんだな」ってうれしかったです。

 

清水 お仕事以外の、こういう活動は、どういう気持ちで続けてこられたんですか。
延原 私も主人も、出身は岡山県なんです。見ず知らずの土地でしたけど、お商売をしながらここまでこうして生かしてもらってるので、「地域に御礼がしたい」という気持ちです。私たち、莫大な寄付とか大層なことはできませんけど、自分たちも楽しんでやりながら、何か周りの人に喜んでもらえることができたらなと。
清水 私は、そういう老後の過ごし方を過ごしたいなぁと思いますね。海外のきれいなマンションで過ごすとか、そういうのも流行しているみたいですけど、地域とつながる過ごし方が私は理想的です。
延原 本当は、若い人にも仲間に入ってもらって、「活動をつないでいきたいな」とも思いますけど、実際はなかなかむずかしいですね。

清水 コロナ禍で、改めて思ったことはありますか。
延原 未曾有の出来事でしょ。生きていて「こんなことが起きるんや」っていうことは、実際に起こるんですね。私が思うのは、行政の支援は必要ですが、でも、いつまでも「補償してください」「援助してください」って言ってても、解決にならないこともあると。でも、もし今自分が学園生でなければ、ここまで使命感もなかったかもしれないので、やっぱり、この年で通うところがあることには感謝です。

 

 

老後、いきなり「することはないし、かといって、活動資金もない」。社会との接点のない生活になるんじゃないかと、私は不安に感じています。「趣味でちょっとしたお小遣い稼ぎも?」「地域の子どもたちに、しめ縄作りを教える?」「今までできなかったボランティアに勤しむ?」。延原さんの言う“生産性のある”理想の老後は、ジムに通い始めるほど簡単に始められるのでしょうか。
今、パラレルキャリアという言葉が浸透しつつありますが、若い頃から仕事とそれ以外の活動をされてきた延原さんは、まさにその実践者です。老後を迎えてから、趣味を生かす先、技能を教える相手、マンパワーを使ってもらう場所を探すのは、恐らく大変でしょう。延原さんのように、現役の頃から仕事以外に社会との接点を持つというのは、“生産性のある老後”を送るヒントなのかもしません。

 

 

取材 兵庫県広報専門員 清水奈緒美

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